認知症と診断された母の記録

2014年に認知症(初期)と診断された母。遅まきながらその症状等を2017年夏より備忘録として綴っていこうと思います。既に過ぎ去った過去のあれこれについても思い出したときに追記していきたいと思います。

渡航先から電話(8/5)-名古屋へ明日?明後日?

昨日電話した後、名古屋の従姉(母の姉の娘)とLINEをした。

日本は暑いらしいね話から、うちの母がクーラー無い部屋の方で過ごしている話をしたら、伯母さんが母に様子うかがいの電話をしてくれたようだ。

伯母さんもうちの母のことをとても気遣ってくださっていて、私も時々電話で相談することがある。

 

日本時間午後2時ころに電話。在宅しておりいつもどおり「暑い、暑い。暑くてボケとりま~す。」と明るそうに話し出す母。ボケているのは暑さのせいではないよ、とはもちろん言いませんよ。

 

伯母さんから電話あったでしょ?と聞くとやはり覚えていなくて、「電話?あったっけ?何話したんだっけ?」と。少し間をおいて「そう言えば明日か明後日に名古屋に行くことになったけど。どっちだっけ?いかん、頭がこんがらがってる~。」と。

 

7月に渡航する前に伯母さんから、私が日本に居る間に婆ちゃんの初盆やろうと言われていたが渡航が迫ってきていて帰国後に車で母を連れて行くような話で取りあえずは中断していた。

 

私はてっきりこの初盆の親族の集まりが他の親族の都合等でもう行われることになったのかな?とこのときは思っていた。

 

母ちゃんに「大丈夫?どうやって行くの?一人で電車乗れないよね?婿殿が連れて行ってくれるのかな?」と聞くと、「分からんっ!たぶん○ちゃん(婿殿)が車で連れて行ってくれるとは思うけど・・・・だめ、暑くて思い出せん!」と。思い出せないのは暑さのせいじゃないよ(とは言わない)。

 

日にちも行く方法も覚えていない母としてもこれ以上埒があかないので、取りあえずこの話はあとで従姉にLINEで確認することにする。(後述)

 

その間、何故か電話が断続的に切れながらも恒例の薬チェックへと続く。

毎度おなじみではあるが「薬なんて毎朝ちゃんとやってるよ!」から始まる。う~ん昨日飲み忘れたことは遠に忘れている(汗

 

8/5と記載された包みは破られてテーブルにあるとのことで本朝にのんでいるようだ。安心したが、点眼液、塗り薬の方は日付の消込されていない→失念。

その場で対応させる。(電話の向こうでちゃんとやってくれていることを信じてるぜっ!)

 

[後述]

従姉にLINEで確認したところ、伯母さんも初盆はまだ決まってないとのこと。

ここでピンと来た。母の言っていた「明日か明後日に名古屋へ行く。」と言うのは姉が毎年恒例でお盆近くに名古屋で同窓会があり、それに便乗して付いていくというやつのことだ。

それが明日か明後日ということになってるのであろう。

 

前にも記載しているが、私と姉は3年以上絶縁状態にあり、この件はこれ以上確認できないが、まぁ良識人の婿殿がいるのであれば任しておいて大丈夫だろう。

ただ、交通費・宿泊代は毎年母が姉家族分も全額負担させられるらしく、いつも愚痴を聞かされていたので、今回も帰国後仮に覚えていたら聞かされるであろう(母は何故かお金のことは覚えていることが多い。)

 

本件の心配事は一つある。

何年か前にも母は姉の同窓会に便乗して姉、孫と新幹線で名古屋に行ったことがある。

同窓会に老いた母を同席させることはできないため、母はホテルに置いておき同窓会には息子(母にとっては孫)だけを連れていったことがある。

その時母は既に認知症を患っており、知らないところを出歩くことができないため姉が帰ってくるまで、外に出るのが恐くてホテルの部屋から一歩も外に出られなかったようだ。姉は母の認知症の度合いをあまり認識できていない気がする。

姉とは絶縁していたため、この話はついこの間伯母さんから聞いた。母が伯母さんに愚痴ったんだろう。

 

んで、母との電話の内容的には今回、婿殿が本当に同行するのかが怪しい。行く方法がこの時と同じだとしたら、同じくホテル缶詰の刑に処されることになる。大丈夫であろうか?