認知症と診断された母の記録

2014年に認知症(初期)と診断された母。遅まきながらその症状等を2017年夏より備忘録として綴っていこうと思います。既に過ぎ去った過去のあれこれについても思い出したときに追記していきたいと思います。

整形外科(7/5)他-渡航期間中の薬忘れと大変なことになっていた冷蔵庫っ💦

本日7/5は整形外科へ三度目のレントゲンを撮りに行く日。
自分はといえば、早朝にフィリピンを立ちひるに関空到着。
関空でお好み食べてから一旦自宅で旅の荷物を降ろして母を迎えに行った。

小雨模様なので車で行くと車の音で気付いたらしく玄関先に出てきていた。
母邸に上がることなくそのまま整形外科へ徒歩で向かう。
二分後には到着するのだが、その二分の道中でも「あれっ、今からどこ行くの?」って感じ(汗

本来はできれば毎日、少なくとも数日に一度は包帯外して手を洗う。
そんでまたプレートをセットして巻きなおす。
ということをしなければならない。
皮膚が痒くなったり下手するとかぶれてしまうからだ。

母本人では自力で巻きなおしがはできないため、私の渡航期間中は病院にも巻き直しだけの通院をお願いして母にも口酸っぱくして言っておいたが結局行かずじまい。10日間近く包帯しっぱなしだった。
日記にも書いたように、渡航先からの電話では本人も「明日病院で巻きなおしてもらってくるわ!」ということになっていたが、その明日になって電話したらすっかり失念して「そんなこと言ったか?まぁ今は痒くないからいいわ!」とか・・・
shintaro1111.hatenablog.com

看護師さんにも少し呆れられていたっ(汗

さて、レントゲンを撮ってもらったところ「もうそろそろ外してリハビリ始めましょう」と。
念のためあと二日固定しましょうとのことで、明後日の土曜日に完全に包帯を外してリハビリ開始の運びとなった。

巻いてもらっている間も「何で包帯巻いてるの?」って言うから、「骨折したんだったよね。」と答えると「うそ~、骨折なんてしとったの?何で?」と骨を折ったことも覚えていない。既に看護師さんも慣れてくれているので「大変だったね。よく我慢したね。」って(汗

病院が終わり、母邸に送り届けるついでに懸念の薬と冷蔵庫のチェック
渡航期間中は監視もできないため少し怖かった。

(飲み薬)
私の渡航期間中は4日ほど飲んでいないようだったが、日付の消込してないのは2日だけであった。母は毎日飲んでいるというが薬の残数が物語っているのだよ。
でも、消込して飲むのを忘れるというのが常態化してきているような気がする。誤魔化すとかそういうのでなく、飲もうとして消し込むがそれでミッションクリアしたと思い込んで結局飲み忘れてしまうということなのだろう。

(目薬)
私の渡航日から日付の消込もほぼされていない。本人も普通に「目薬なんてこの頃点してないわ!」と。母は緑内障というのをはじめから認識できておらず、説明してもよくわからないらしく点眼の必要性を理解していない。それゆえに意識が希薄なのか?

(塗り薬)
これも日付の消込がほぼされていない。とりあえずその場で塗らせてマッサージさせるが、この薬の塗り忘れを指摘するといつも「塗ったよ、だって濡れとるもん!」と。母ちゃん、今濡れてるとしたらそれは汗だろが!!!


薬のチェックの後は冷蔵庫、結果は・・・・・

言わずもがな、溢れんばかりの状態。
特にひどいのがカップヨーグルト、プチトマトのパック、沢庵。
予想はしていたが、裏切らないねぇ~(泣

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期限切れのものも多数、その場で破棄させたのでした。

この日は帰国したてで疲れたので、母のドライブ連れてけ!って言葉も聞かぬふりをしてそそくさと帰って行く私でした(汗