認知症と診断された母の記録

2014年に認知症(初期)と診断された母。遅まきながらその症状等を2017年夏より備忘録として綴っていこうと思います。既に過ぎ去った過去のあれこれについても思い出したときに追記していきたいと思います。

リハビリ付添(9/5)-台風の爪痕?

母のリハビリと私の鎖骨診察。
母の予約時間(17:30)よりだいぶ早めの15:30頃訪問。

バンドを一人で装着できないため、通院前に私は母邸でバンドを外し全身シャワーを浴びて病院で装着してもらうのが週に二回程の母のリハビリデー。

ただ、今日は状況がいつもと違った。

昨日の台風で、近くに住んでいる娘家族のマンションが被害を受けたらしく、昨晩から母邸に避難してきていた。(この姉と私は3年前から絶縁している。)

私が訪問した際には、姉と息子(母から言うと孫)は片付けのため被害宅に行っていて母だけが居た。

ドアをノックした時、母は姉達が帰ってきたものと思ったらしく 「何だ、あんただったの?」と。

そんな状況だったためか、母はリハビリの予約を忘れていた。というか今日の日付を一日前の9/4と思っていたようだ。

薬も今日日付のものがまだ残っており、昨日か今日飲み忘れている。

母は「娘と孫がいつ戻ってくるか分からないから今日は病院行くのやめとく」と言う。
少し大変な思いをしてやってきた私に「あんただけ勝手に行けば良いがね!」とまで。

若干寂しさを感じた自分は変か?

最終的には病院に電話して予約を一時間早めてもらい、病院から帰る時間を姉に伝えさせた。

リハビリが終わった後、速攻で姉に「今、病院終わった」と電話してたよ。
ただ、姉の家の片付けはボランティアも来て手伝ってもらっている最中だとかで、まだまだ母邸には戻ってこないらしいが・・・。

(ここからは私事)
そんなこともあったので、今日は母邸での全身シャワーは浴びずに、病院で看護士さんに上半身を拭いてもらった。

鎖骨骨折の方は、授傷して既に三週間経過しているが、骨の割れ方が良くなかったようで若干往生している。先生の指示通りバンドで胸を張る姿勢を保っているが、胸を張ると割れた骨の下側の肩に近い割れて尖った部分が皮膚から飛び出てくる。下部の方は胸を張ることによって取り残されてしまうようだ。
そのため、バンドがその突起物に当たって圧迫していたい。時折その突起部分がバンドに引っかかったりして怖い。
あくまで素人考えでしかないがこのままだと、上部と下部が分離したまま骨がくっついて形成されてしまうのが怖い。くっつく前に引っかかって形成を阻害しないかも不安だ。

その旨は前回のバンド装着補助通院の際にも先生に相談したが、あまりはっきりものを言わないためうやむやになっていた。今日はレントゲンと診察も兼ねている日なのでその旨(痛いのと心配なこと)をもう一度話してみた。

先生は自分のみ意見もあまりなく「じゃあ、手術も視野に入れて他の病院にも診てもらおっか?」と💦

紹介状書いてもらって明日、少し大きな総合病院に行くことになった。

三週間も経ってしまい今更・・・
先生に少し不満と不信を抱いた😡